
あぜもと 将吾
新時代、令和を迎えました
現在日本は少子高齢化、人口減少など多くの課題に直面している
将来への不安を少しでも軽減するために自分ができること、すべきことを明確な将来像をもって取り組む
現場の「声」を真摯に受け止め行動し結果をだしていく
現場の「人」を大切に誇りと希望を持ち続けられるようにしていく
現場の「もの」を充分に活用し効率化・省力化していく
ご期待にお応えし、お応えすることで信頼していただけるよう挑戦し続けます
プロフィール
畦元 将吾(あぜもと しょうご)
1958年広島県広島市生まれ。国際医学総合技術学院(現 岐阜医療科学大学)診療放射線技師科卒業、診療放射線技師として広島市民病院勤務、CTマーケティングアジアエリアマネージャーとしてGE横河メディカルシステム株式会社(現 GEヘルスケアジャパン)勤務後、株式会社AZE、株式会社アゼモトメディカル起業。
令和元年衆議院比例(中国ブロック)繰上げにて初当選。
趣味:旅行、写真
好きな食べ物:カレー、辛いもの
好きな言葉:七転八起
著書:へぇ、そうだったんだ!!健康診断・病院検査のトリビア43-賢い受診者になろう(ダイヤモンド社)
経歴
1958(昭和33)年 | 4月30日広島県広島市生まれ |
1971年 | 安田小学校 卒業 |
1974年 | 秋多中学校 卒業 |
1977年 | 山陽高校 卒業 |
1980年 | 国際医学総合技術学院(現 岐阜医療科学大学) 診療放射線技師科 卒業 |
1980年 | 広島市民病院 放射線科 入職 |
1985年 | GE横河メディカルシステムズ株式会社 CTマーケティングアジアアプリケーションエリアマネージャー |
1999年 | 株式会社AZE 設立 代表取締役社長 |
2016年 | 株式会社アゼモトメディカル 設立 代表取締役社長 |
2017年 | 衆議院議員総選挙比例中国ブロック 公認候補 |
2019年 | 衆議院比例中国ブロック 繰上げ当選 |
役職
【衆議院】
経済産業委員会 委員
環境委員会 委員
消費者問題に関する特別委員会 委員
【自由民主党】
厚生労働部会 副部会長
組織運動本部団体総局 教育・文化・スポーツ関係団体委員会 副委員長
厚生労働部会 薬事に関する小委員会 幹事
国会対策委員会 委員
【議員連盟】
和装振興議員連盟、賃貸住宅対策議員連盟
歯科技工士に関する制度推進議員連盟
自民党診療放射線技師制度に関する議員懇話会 他
【その他】
日本診療放射線技師連盟 参与
順天堂大学保健医療学部診療放射線学科 客員教授
岐阜医療科学大学 客員教授
東邦大学医学部 客員教授
全日本きものコンサルタント協会 理事
岐阜医療科学大学同窓会 会長
バイオグラフィー
幼少期
- 鹿児島県加世田市出身の父と広島県広島市出身の母の元に3人兄弟の末っ子として生まれる。
- 父は教育者、母は飲食店を経営し多忙で、姉と兄とは一回り近くも年齢が離れており、一人っ子のように育ち、自立心の強い子供であった。
小学校時代
- 当時では珍しい英語の授業もあり、厳しくも温かい先生方に囲まれ充実した日々を過ごす
- ランドセルを忘れたり、サンダルのまま登校したり、おっちょこちょいであった
- 5年生の時に交通事故で全治半年の重傷を負ったこともあり、中学受験に失敗
中学校時代
- 心機一転という気持ちもあり、東京の中学に入学
- バスケットボール部に入部 ポジションはガード
高校時代
- スカウトされ、芸能プロダクションに所属。CMや広告などでモデル活動を行う。上下関係に厳しい事務所で挨拶などの礼儀作法を叩き込まれた
- 父親から、将来を考えるべき時に来ているのではないかというような助言をされ、これまで自分のすることに何一つ口を出さなかった父親からの言葉は重く、自分の将来を真剣に考えるきっかけとなった
- 剣道部に所属。張り詰めた空気の中、一瞬の隙が勝敗を分ける競技に面白さを感じ熱中する
大学時代
- 医療関係には昔から興味があり、岐阜県にある診療放射線技師を目指す学校に進む
- 自分自身が被ばく2世であり、幼少期より、放射線に対して興味があった
- 落語研究会を立ち上げて福祉施設のボランティア活動などを積極的に行っていた
- 母親が入学祝に安価な中古の車を買ってくれ、1年時より車通学であった
- 同級生の仲が良く、今でも定期的に同級会を行っており、かけがえのない同志
社会人時代
- 病院に入職時はCT装置が出始めであり、技術習得に没頭。残業多くて上司から度々注意を受ける
- お昼は毎食病院内の食堂のそば。周りの同僚にも呆れられるほどであった
- 医療メーカー転職に伴い上京し住んだ中野区は今でも思いで深く好きな町のひとつ
会社経営時代
- 荻窪にあるビルで1Fがお蕎麦屋さんの2Fにて起業。7坪程度の広さであったが胸がいっぱいになったのを覚えている
- 自社開発の医療システムが医療現場で実際に使用されているのを初めて見た時の感動は一生忘れない
- 自転車操業の日々で資金繰りも大変ではあったが、医療現場に貢献したい一心で当時は辛いと感じていなかった
- 創立10周年を記念した社員旅行の際に従業員から(実物は買えないだろうからと)プレゼントされたフェラーリの模型は今でも宝物である
初当選
- 2019年7月11日、衆議院比例(中国ブロック)にて繰上当選
- 令和の幕開け間もなく国政での活動をスタートできたことに意義を感じ、初志貫徹を改めて決意