プロフィール
畦元 将吾(あぜもと しょうご)
趣味 | 旅行、写真 |
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好きな食べ物 | カレー、辛いもの |
好きな言葉 | 七転八起 |
著書 | へぇ、そうだったんだ!!健康診断・病院検査のトリビア43-賢い受診者になろう(ダイヤモンド社) |
掲載記事 |
・Interview─ヘルステックへの期待を語る ・QSTが次世代PET研究会2024を開催し最新の研究開発を報告 |
令和元年 | 衆議院比例(中国ブロック)初当選。 |
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令和三年 | 2期目当選。 |
令和四年 | 第二次岸田改造内閣において厚生労働大臣政務官に就任。 |
経歴
1958年 | 4月30日広島県広島市生まれ |
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1971年 | 安田小学校 卒業 |
1974年 | 秋多中学校 卒業 |
1977年 | 山陽高校 卒業 |
1980年 | 国際医学総合技術学院(現 岐阜医療科学大学)診療放射線技師科 卒業 |
1980年 | 広島市民病院 放射線科 入職 |
1985年 | GE横河メディカルシステムズ株式会社 CTマーケティングアジアアプリケーションエリアマネージャー |
1999年 | 株式会社AZE 設立 代表取締役社長 |
2016年 | 株式会社アゼモトメディカル 設立 代表取締役社長 |
2017年 | 衆議院議員総選挙比例中国ブロック 公認候補 |
2019年 | 衆議院比例中国ブロック 繰上げ当選 |
2021年 | 衆議院比例中国ブロック 2期目当選 |
2022年 | 第二次岸田改造内閣において厚生労働大臣政務官 就任 |
2023年 | 自由民主党 副幹事長 就任 |
2024年 | 岐阜医療科学大学大学院保健医療学研究科(修士課程) 卒 |
役職
政府
- 元 厚生労働大臣政務官
衆議院
- 元 環境委員会 理事
- 元 厚生労働委員会 委員
- 元 消費者問題に関する特別委員会 委員
自由民主党
- 元 副幹事長
- 元 団体総局 厚生・労働 副委員長
- 元 厚生労働部会 副部会長
- 元 環境部会 副部会長
- 元 組織運動本部団体総局 教育・文化・スポーツ関係団体委員会 副委員長
- 元 厚生労働部会 薬事に関する小委員会 幹事
- 元 総務会
- 元 国会対策委員会 委員
- 元 経済産業委員会 委員
所属連盟
- 診療放射線技師議員連盟 事務局長
- ラジエーション議連 事務局長
- ヘルステック議連 事務局長
- 歯科技工士に関する制度推進議員連盟
その他
- 東邦大学医学部 客員教授
- 岐阜医療科学大学 客員教授
- 岐阜医療科学大学同窓会 会長
- 日本診療放射線技師会 参与
実績
コロナウイルス感染対策対応CT
新型コロナウイルス感染症重点医療機関等設備整備事業として、CT撮影装置の購入に際し1台当たり6,600万円の補助金を実現し、全国で500台以上が導入され、多くの患者さんのコロナウィルス診断に使用された
がん治療対策
前立腺がん治療に有効であるアクチニウムを生産できる「常陽」の運転再開へ尽力し、令和6年度予算に技術開発費150億円の予算獲得
※2026年中頃運転再開予定
医療従事者への慰労金支給
コロナウイルス感染対策を実施している医療従事者への慰労金の支給について、濃厚接触者として看護師、臨床検査技師、診療放射線技師等を対象者として5~20万円の支給を実現
認知症対策
認知症治療薬であるレカネマブの投薬要否を決めるアミロイドPET検査の保険適用を訴え続け、2023年12月に保険適用が実現し、高齢化社会問題を抱える日本において大きな一歩を踏み出した
ポータブルX線装置認可期間短縮
ポータブルX線装置の部品変更に伴う認証・認定期間において、従来3ヶ月以上時間を有するところ10日間前後に短縮し、ポータブルX線装置不足の解消につながった
3D医用画像解析システムを開発
自身の会社、株式会社AZEを創業し3D医用画像解析システムを開発。
CTで撮影した画像を3D化する技術で多くの医療機関にて採用される。
バイオグラフィー
幼少期
鹿児島県加世田市出身の父と広島県広島市出身の母の元に3人兄弟の末っ子として生まれる。
父は教育者、母は飲食店を経営し多忙で、姉と兄とは一回り近くも年齢が離れており、一人っ子のように育ち、自立心の強い子供であった。
小学校時代
当時では珍しい英語の授業もあり、厳しくも温かい先生方に囲まれ充実した日々を過ごす。
ランドセルを忘れたり、サンダルのまま登校したり、おっちょこちょいであった。
5年生の時に交通事故で全治半年の重傷を負ったこともあり、中学受験に失敗。
中学校時代
心機一転という気持ちもあり、東京の中学に入学。
バスケットボール部に入部。ポジションはガード。
高校時代
スカウトされ、芸能プロダクションに所属。
CMや広告などでモデル活動を行う。
上下関係に厳しい事務所で挨拶などの礼儀作法を叩き込まれた。
父親から、将来を考えるべき時に来ているのではないかというような助言をされ、これまで自分のすることに何一つ口を出さなかった父親からの言葉は重く、自分の将来を真剣に考えるきっかけとなった剣道部に所属。
張り詰めた空気の中、一瞬の隙が勝敗を分ける競技に面白さを感じ熱中する。
大学時代
医療関係には昔から興味があり、岐阜県にある診療放射線技師を目指す学校に進む。
自分自身が被ばく2世であり、幼少期より、放射線に対して興味があった。
落語研究会を立ち上げて福祉施設のボランティア活動などを積極的に行っていた母親が入学祝に安価な中古の車を買ってくれ、1年時より車通学であった。
同級生の仲が良く、今でも定期的に同級会を行っており、かけがえのない同志。
社会人時代
病院に入職時はCT装置が出始めであり、技術習得に没頭。残業多くて上司から度々注意を受ける。
お昼は毎食病院内の食堂のそば。
周りの同僚にも呆れられるほどであった。
医療メーカー転職に伴い上京し住んだ中野区は今でも思いで深く好きな町のひとつ。
会社経営時代
荻窪にあるビルで1Fがお蕎麦屋さんの2Fにて起業。
7坪程度の広さであったが胸がいっぱいになったのを覚えている。
自社開発のシステムが医療現場で実際に使用されているのを初めて見た時の感動は一生忘れない。
自転車操業の日々で資金繰りも大変ではあったが、医療現場に貢献したい一心で当時は辛いと感じていなかった。
創立10周年を記念した社員旅行の際に従業員から(実物は買えないだろうからと)プレゼントされた。
フェラーリの模型は今でも宝物である。